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石川 准(いしかわ じゅん)氏 静岡県立大学国際関係学部教授 ●プロフィール
○1956年富山県生まれ。
◎近書に |
◎人間の『存在証明』を考える/障害を補い合う社会に
私のテーマはアイデンティティ・ポリティックス論、障害学、民族・人種・エスニシティ研究、現代家族論等と 多岐に渡っていますが、一貫して人間の『存在証明』というテーマについて研究しています。このテーマを考える上で、 切り離せないのは自らの体験にほかなりません。
子どもの頃から弱視だった私は、高校時代、医師から禁止されていたにも関わらず、無理して体育の授業に出ていた結果、 全盲になってしまいました。 光を失ったときは(どうして自分はそんな無茶なことをしたのだろう)と悔やみましたが、それは自分の誇りと 存在証明のためにほかなりませんでした。
当時体育の教師は、私が失明の危機にあるとまで深刻に受け止めていなかったようで、毎時間見学する私を少しでも授業に参加させようとしました。 中高生の少年にとって、体育ができないというのは大変屈辱的なことです。 自分の存在価値が脅かされる危機でした。そんなわけで、私は体育教師の 誘いを断ることができなかったのです。 人間は皆、「誰かに認められたい」という願望を持っています。社会人の場合は、自分の有能さを社会の中で 証明しようと躍起になります。
これは、特に近代以降の特徴と言えます。近代以前の社会では、自分の社会での役割とか地位はあらかじめ決まっていました。 ところが、近代以降はもっと流動的な社会になったので、自分の価値を主張しあうことが可能になったのです。 その分、存在証明に躍起になる価値が出てきたと言えるでしょう。
ただこうした存在証明も、変化してきています。日本を例にあげれば、戦前は国家や家制度への貢献、それ以後は会社への忠誠心や学歴等でしたが、 最近では多様化が進み、いろいろな物差しが出てきました。これからは、細かなアイデンティティーが乱立する状態になっていくように思います。 若い人たちには、すでにその傾向があり、自分たちの小さなコミュニティーの中で規範やルールを作り、道徳的と言えるほど守っているのです。 しかも忠誠心はかなり高いといえるでしょう。
障害に対する考え方も、ずいぶん変わってきました。今では「障害は個性だ」という表現が流通するようになり、 かつての「徹底的に訓練して、一ミリでも二ミリでも健常者に近づこう」という考え方は減ってきました。私の研究している障害学は、 欧米で生まれた新しい学問ですが、障害者が自分の体験を言語化していこうというものです。 障害者は今まで、福祉面でも教育面でも、いつも研究される対象でした。それを自ら研究するのが障害学なのです。 つまり障害という体験を通して、もう一度社会の在り方を考え、提案しようとしているのです。
郵便貯金は、視覚障害者にも利用者が多い。やはりATMが視覚障害者対応になっている点が便利ですね。 銀行の場合、どうしても窓口で人に頼むことになるのですが、午後三時で閉まってしまう。 またクレジットカードも、視覚障害者の場合「サインができないのでは?」と思われて、 作れないケースがあります。今やカードのない生活は考えられない時代。自分が社会人としてマイナス評価されていると、 感じざるをえません。こうした社会の不便さを解消していって、目が見えなければ目を借りる、 耳が聞こえなければ耳を借りるといったことで、障害があっても補っていける社会になっていくといいと思います。
最近では金融の世界も自己決定・自己責任ということがさかんに言われるようになってきました。 しかし自己決定というのも、皆ができるものではありません。子どもや高齢者、障害者等は自己決定ができない場合もあり、 つけこまれる可能性がある。それをどう保護していくかは、今後大きな課題です。 当然、第三者的立場で障害のある人を保護する機能が必要となっていくでしょう。




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